他者の思考や言動をコントロールしよう、なんて思わないこと

こんにちは。

タイトルは、自戒を込めて書きました。

本日はドクダミ淑子さんの記事を読んで、自分なりに考えたことを綴ってみようと思います。

 

www.dokudamiyoshiko.com

 

記事で取り上げられている石川さんのブログも読みました。

私は死にたくありません。 | 石川優実 [Yumi Ishikawa] Official Site

 

私も「Twitterか死か、なんてニ択はあり得ない」と思っていますし、石川さんがご自身の活動やこれまでの経緯を、皆に正しく理解してほしいと望むのは難しいと思っています。

 

それが難しい理由として挙げられている

・多くの人は「経緯」なんて知ろうとせず、1ツイートを見た瞬間に感じることが全てだから

・時として人は「真実」よりも、自分にとって面白いと思う事実、自分にとってこうあってほしいと思う事実に解釈を歪めて考え、それを「真実」だと思ってしまう

というご意見にも賛同します。

 

そして私も、発言の真意が伝わらず誤解された時に、誤解を解こうとしたり自分を正しく理解していない人をゼロにしようとするよりも、「そういう風に解釈する人もいるよね」と流す方が得策だと思います。

なぜなら他者が何を思いどう行動するかなんて、自分でコントロールできないからです。

 

私が「皆に正しく理解されたい」が難しいと思うのは、TwitterをはじめとするSNSは、一人一人異なる価値観を持った人達が集まる場所だからです。

SNSを利用する人の数だけ「常識」があり、自分の「常識」は誰かの「非常識」でもあるわけです。

そんな集まりの中で、自分のことを皆に正しく理解してもらおうとするのは、他者に対して自分と同じ価値観を持つよう矯正するようなものだと思います。

 

こちらは、石川さんのブログから引用した文章です。

「これはデマだから事実を広めてほしい」というツイートはほぼ反応がない中、裁判に勝ったり髪を切ったり可愛いワンピースを着たり情報開示請求が成功した、などというツイートはいいねがつき拡散されます。
あ、みんな私のツイート見えてたんだ、普段は見えててずっと3年間くらいオンラインハラスメントを受けている私を見て見ぬふりしてたんだ、ということがわかってその度に私は絶望します。

 

私もTwitterを利用していた頃は、フォローしたい人をフォローし、自分がいいねしたいと思うツイートにいいねして、拡散したいと思うツイートを拡散していました。

利用者が自らの価値観に沿ってTwitterをするのは当然のことで、それが石川さんの意に沿わないことだってあると思います。

なので実際には「見て見ぬふりしてた」人達の言い分を聞いてみないとわからないけれど、もしかしたら「たまたま見落としていただけ」ということも、あり得るのではないでしょうか。

だって、フォロワーさんが日々どんな状況でSNSを利用しているかなんて、知る由もありませんから。

 

そしてブログによると、石川さんはTwitterをおやめになったようです。

 

#さよならTwitter、#ありがとうLUSH | 石川優実 [Yumi Ishikawa] Official Site

ここ数年、私はTwitterがなくなればいいのにと思いながら生活していました。しかし、みんながTwitterにいるからTwitterでないと活動を届けられないと思っていました。
でも、こんなヘイトに塗れた空間を放置しているTwitterで皆さんに何かを届ける意味はあるのだろうかと今思います。
なので、私はTwitterアカウントを停止することに決めました。

前回のブログでも書いたように、SNSを安全に使う権利が全ての人にはあると思っています。なので、嫌がらせが止まらないからやめるのは自分の死にたい気持ちを増幅させるものだったので難しかったです。
しかし、様々な憎悪の溢れる場所を抗議の意味を込めて捨てるという行為は、私にとってまた一つのアクティビズムです。希望を持ってやめることができます。 

 

Twitterをやめることにより、石川さんが少しでも心穏やかに日々を過ごせることを願っております。